黒木工吉のフィギュアスケート解説ブログ

フリーライター黒木工吉のフィギュアスケートに関するブログです。最新の技術解説、選手の情報からフィギュアスケートというスポーツ全体まで様々な角度から論じてみます。

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浅田真央の革新⑭ 2009-2010FP『ラフマニノフ前奏曲Op3-2 鐘』







【前回のつづき】

そもそも浅田真央は、静止することを拒否している風にも、私には見受けられる。『チャルダッシュ』や『月の光』においても、シーズン冒頭は静止してポーズで魅せる振りが少しだけあったが、シーズン終盤では、それも止めて動き続けることを選択している。これが浅田真央の感性なのかもしれない。タラソワがそうさせている部分は大きいだろうが、それも含めて、これが浅田真央なのだろう。動き続ける彼女には、わたしはなんらかの意思を感じてしまう。

動き続ける。浅田真央の凄みはここにある。それでいて、せかせかしている感じでなく、優雅な舞を見せながら、高度な技を繰り出す。ときどき、上位選手においてもフットワークと上半身の動きが忙しく、どこか急いているような印象を受けることがあるが、彼女にはそれがない。このとき、浅田真央自身が音楽であり、浅田真央自身がフィギュアスケートであると、わたしは思っている。

浅田真央は言語感覚に長けた選手ではない。そして、音楽やフィギュアスケートをことばで理解して滑っている感じでもない。ただ、彼女は音楽を自分の肉体を通して、誠実な鏡のように映しだすことに優れている。技術にメリハリがあるので、音楽や手拍子に助けてもらう必要もない。だからわたしは、彼女に表情や彼女なりの思想は現段階では不要だと思っている。

しばしばこういった表現や演技を競う競技において、「表現力というのは深い人生経験から滲み出るもので、若いうちは難しいだろう」という論調があるが、わたしはそれに対して懐疑的な視点を持っている。

確かに、人生経験から芸術作品を理解し、自らそれに倣って音楽を表現したりする能力は培われるだろう。フィギュアスケートも、そのように音楽を自分の演技に変換して、深い演技表現に繋げることが、是とされる面もあるだろう。

しかし、浅田真央のような音楽的感性、それと運動能力をもってすれば、その変換作業と同等の、もしくはそれ以上の表現が、すでにできているとわたしは考えている。浅田真央は言語を介さずに、音楽をそのまま自らの手足の動き、そしてスケーティング、そして技術でそこに表現することができる選手だ。

(つづく)

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  • 2012/11/23(金) 07:49:22 |

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